本を読んでも頭に入らないのはなぜ?

雑学
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本を読んでも頭に入らない人は、なぜ頭に入らないのでしょう?

 

本を読んでいても集中して読むことができなかったり、読んでいてもあらすじを覚えていなかったり済ます。

 

ではどうして覚えていないのか、原因を見ていきましょう。

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楽しく読まなきゃ読書じゃない!

 

長期休暇などには、普段に比べて比較的まとまった時間を取りやすいという方も多いのではないでしょうか?

 

もちろん、たまの休みだとしたら、家族サービスも大切な要素になってくるでしょう。

 

妻帯者には無視できないところですよね。

 

しかし、せめてそれ以外の時間くらいは、心をゆったりと落ち着かせ、自分だけの時間を楽しみたいです。

かといって、無駄に手間やお金をかけるわけにもいきません。

 

そもそも楽しみというのは、お金をかければ解決する解決するというものではありません。

 

となれば、すぐに実践できる手段として思いつくのが読書ではないでしょうか?

 

静かに本を読む時間は、それだけで日常の喧騒を忘れさせてくれる。

 

心に落ち着きを与えてくれます。

 

そして当然のことながら、様々なことを教えてくれて、いろいろなことに気づかせてくれます。

 

いろんな意味で、とても都合のいい娯楽なんです。

 

とはいえビジネスパーソンの場合、本を読もうと決心した時点で、それを仕事の一環として捉えてしまいがちです。

 

オフの時間を利用した読書でさえ、「仕事のためのツール」になってしまうかもしれないということです。

 

それはそれで読書の大きな目的となり、決して否定要素にはならないからです。

 

けれど、仕事のためであれ、単なる娯楽としてであれ、どうせなら読書そのものを楽しんだ方がいいですね。

 

 

最大の効用は「心が落ち着く」

 

本を読むとき、気持ちを仕事モードにしておいたとしても、リラックスモードにしておいたとしても、得られる情報量は同じです。

 

しかしリラックスモードにしておくことで、さらに加算されるものがあります。

 

心地よさや安堵感、充実感などです。

 

それは、理屈で割り切れるものではないかもしれません。

 

その総量によって、その読書の重みは違ってくるのではないでしょうか?

 

いってみれば発想の転換である。

 

読書の中に楽しむ問いという要素を意識してみれば、「知識の吸収する」という目的を満たしながら心も豊かにすることも可能になるということです。

 

だいいち、読むものはビジエス書であれ、自己啓発書であれ、エッセイであれ小説であれ、なんだっていい。

 

「本を読む」ということ自体が、心を落ち着かせてくれると考えるべきなのです。

 

その結果、オマケ的な感じで知識や情報がついてくると考えた方がきっと気持ちも楽になります。

 

読書の目的は楽しむことであり、その結果、知識や情報など、期待以上の副産物がついてくるのだということ。

 

心地よい時間は過ごすことができて、なおかつ仕事に役立つかもしれない、人生に役立つかもしれない情報や知識をもらえるのであれば、それほど割りに合う話はない。

 

とはいえ現実的に、読書は何かと敷居が高いものでもある。

 

楽しもうといったところで、本を前にすると無意識のうちに構えてしまう人も少なからずいます。

 

それだけではなく「読むのが遅い」「頭に入らない」というような悩みを抱えている人も、意外に多いものです。

 

しかし、考え方を切り替えると、読書は途端に身近なものになります。

 

なのに特別な行為だと考えてしまうから、楽しいはずの読書はとつきにくいものにあってしまうのです。

 

でも、考えてみてください。

 

たかが活字を目で追うだけの作業です。

 

それは本来、人間が持っている能力で、十分にカバーできるものです。

 

だから重要なのは、「読書に対する期待値」を下げることです。

 

「その読書から、何を得よう」とか、そういうことを考えてしまうからややこしいことになるんです。

 

「その本から、期待していたものを得ることができなかった」ということと、「ポケモンGOでレアキャラに逃げられた」ということの間に、さほど差はないのです。

 

自分に響く言葉があれば勝ちは生まれるし、なければそれだけのこと。

 

それくらい割り切って接すれば、逆に本当の関係は密接になっていくと思います。

 

決して高尚なものでわないので、「すべてを得ることわ無理だけど、この一行が心に残った」とか、その程度で十分です。

 

 

「ねばらない読書」はやめよう!

 

重要なのは、「すべてを記録しなければならない」というような謎の義務感を持たないことです。

 

そもそも、その本のすべてを記録することはまず不可能です。

 

少なくとも読書は、読む速さや知識の量を競うような性質のものではありません。

 

速読が得意な人のいるでしょうし、スポンジのようにすべてを吸収してしまえる人もいますが、別にそういう人を目指す必要はありません。

 

極端にいうと、10のうち、自分にとって大切な1が頭に残れば、その読書は成功だと考えるべきです。

 

なぜなら、その読書における主役は自分だからです。

 

自分が納得できれば、それで完結するのです。

 

だから読むのが遅かろうが、理解力が足りなかろうが、なんら問題はありません。

 

自分のための読書ですから、どれだけ時間がかかろうが

他人にどうこう言われるものではありません。

 

自分のペースで読めばいいのです。

 

昨日は50ページ読んだけど、今日は3ページしか読めなかった。

 

明日わどうかな?

 

そんな調子でOKです。

 

本当は、何も得なくても、理解しなくても、感動しなくても、もとがとれなかったとしても、言葉にできない小さななにかが残ったのであれば、その読書には価値があるのです。

 

その読書姿勢が心を豊かにしてくれるのです。